1982年のシンセ事情・超絶私感。
SH-2 PLUG-OUTを入手したこともあって、ローランドのサイトからSHシリーズの取扱説明書をダウンロードしたり、好事家の先達がネットにアップされたメーカーカタログに目を通している日々です。
まぁ、僕の場合、ふとした動機から俄か研究家になるのはよくあることなんですが。
自分が楽器店にシンセサイザーを見に通い始めたのはいつだろうと思い返してみると、1981年秋から冬にかけて、僕が小学6年生の時でした。
当時はシンセサイザーが欲しいと思っても、家庭の事情で確実にアウトだったので、試奏ついでに貰ったカタログを帰りのバスの中で読み耽り、ため息をつく程度でした。
当時日本の三大メーカーでベストセラーとなっていた(つまり学生でも手に入れられた)シンセサイザーは下記の通りです。
もちろん、すべてアナログのモノフォニックシンセです。
そして「入門機」と謳われたモデルとして
が発売されていました。
2VCOが1VCOになっていたり、パラメータが削られたり、と機能差ゆえの廉価版ですが、それでも小中学生がおいそれと購入できるものではなかったわけです。
それにしても、いま思えばどのメーカーもこのクラスの新機種を1978年から4年近くリリースしなかったのは意外です。
というのも、80年前後のYMO人気により、世間的には空前のシンセサイザーブームが起こったはず、だからです。
この間に各メーカーが発表していた新製品の多くはポリフォニックシンセでした。
それまで手の届かない存在だったポリシンセが、日本のメーカーから20万円台前後で発売され始めたのは、この80年代初頭です。
コルグのPolysixやローランドのJUNO-6など、これはこれで当時のハイティーンを熱狂させたわけですが、やはり当時の小中学生には手が出せる金額ではありません。
個人的にYMO現象最大の功績は、ローティーン(特に小学生)にシンセサイザーへの興味を抱かせたことではないかと思いますし、それが90年代以降の音楽シーンを作った原動力になったわけです。
が、実際に彼ら、いや僕らの世代がシンセサイザーを手にするまでにもう少し時間がかかったわけです。
付け加えると、先に挙げた入門モデルにはどこか無骨で古臭い印象もありました。
ちょっと事情が変わったのは、82年の春、ヤマハからCS-01なる機種が32,000円という破格の値段で登場したあたりからです。
1VCO•1VCF•1VCA•1EGという質素な構成の上にミニ鍵盤という仕様につき、お世辞にも「本格的」と呼べるシンセじゃないですが、乾電池駆動&スピーカー内蔵という斬新な付加価値が与えられたことで 、一躍人気機種となりました。
またその年の秋にはローランドが、乾電池駆動かつ標準鍵盤、さらにシーケンサーとアルペジエイターまで搭載しコストパフォーマンスに優れたシンセSH-101を発売。
この頃になると「もしかしたら自分にも買えるかもしれない」という妄想を抱きながら楽器店に通うようになりました。
83年1月、僕はCS-01を買おうと楽器店に行き、親の補助を受けてSH-101を手に入れることになります。
そして83年秋には、コルグから10万円を切る軽量ポリフォニックシンセPOLY-800が登場し、10代を狂喜させます。
これらの新機種ではショルダーキーボードとして利用できるように軽量化が図られた他、カラーバリエーションが出たりと、シンセサイザーにあった重厚なイメージを覆す試みがなされました。
さらに数ヶ月後にはローランドも廉価ポリシンセJUNO-106を発表しました。
デザイン的にも機能的にも先行商品のJUNO-6/JUNO-60の後継モデルですが、61鍵シンセが15万円を切ったこともありベストセラーとなりました。
いよいよアマチュアにもポリフォニック&MIDI時代が到来するわけです。
この1年半の間には、ヤマハからあのDX7が発売されるという、エポックメイキングな出来事もありましたが、やはり当時の中学生にとってのシンセサイザー元年は、この1982〜1983年ではないかな、と思うところでございます。
ちなみにCS-01の発売直後からJUNO-106の発売にかけての百花繚乱状態は、僕が中学1年生から2年生にあった出来事で、しかもYMO散開(83年12月)という大事件も挟んでいました。
そんなわけで、諸先輩方や後輩な皆様には反論もおありでしょうが、1969年生まれの僕にとってのシンセ私感は、こんな感じでございます。
ご精読、誠にありがとうございました。