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sh101's blog

シンセとラジオの40数年。

ソーシャルの限界?(いろいろ追記補正版)

最近、こういう記事を見まして。


この手の「マニアがジャンルを潰してしまう」バナシは、ここ数年自分の本業でも痛感しており、ツイッターをはじめソーシャルメディアに手を出したのも、これに対する危機感と、サイレントマジョリティの声を聞きたいというところにありました。

業種を問わず企業や団体で中の人を担当されている方は、同じような動機でソーシャル活用を考えられたのではないでしょうか?

ただ不思議なもので、ソーシャルメディアも裾野が広がれば、いつの間にか新規ファン以上に古参ファンが目立つようになります。

ツイッターの1投稿=140文字というのは、誰にも平等に与えられているフォーマットですが「なんとなく気に入りました」よりも「どうして俺の思う通りにならないんだ!」の方が分量も筆圧も強く、どうしても目立ちます。

こうしたストロングスタイルの問題提起や内輪バナシがせっかくのご新規さんを排除、もしくはその存在をないがしろに追いやるために、結局声の大きな人が残る、という引越しオバサン的な展開が見られがちです。

ただ一方で、新規を引きとめる魅力を生み出せずにいる送り手側の問題もあります。
ここで書いておきたいのはまさにそこなのであります。

ハッキリ言うと、熱狂的なマニア層を満足させるのは、未知の新規客を惹きつけるより相当ラクなんです。
そもそもジャンルの説明が要らない。
この初手にかかる努力はどこまですれば(お金をかければ)効果が上がるのか、まるでわかりません。
だって相手は未知なんだから。

で、送り手の方針が「ファンの皆さんあっての私たちです」となれば、多少のマイナーチェンジで済みます。

しかし声の大きなマニア層の中には、さらなる改善を訴える方も多いのです。
例えば利用料金、時間、場所、あるいは「この人をプロジェクトに加えればいい」という推薦。

もちろんこうした意見の中には「このままではジャンルが滅ぶ」という危機感や愛情から発せられるものもありますが、中には単なるユーザー都合の話も混じるから厄介です。

送り手がチョイスを見誤ると、マニアの便宜を図るだけの縮小再生産永久発電へと堕していきます。
永久ならまだしも、やがて資金面やモチベーションの低下から維持もままならなくなり、そのうち要求を受け入れられ満足したファンにも飽きられ、気がつけば受け手など誰もいないジャンル消滅の道を辿るわけです。

僕自身、かつて新日本プロレスストロングスタイル神話に乗り、かなりの投資をしてきた人間ではありますが、上記の記事を見て「そうだよねー」と思い直すところもあり。

「ネットサービスが廃れる」というショッキングなタイトルの記事を引用したわけですが、個人的にソーシャルメディアの利用そのものがいけない、ということではなく、あまりにも送り手が無自覚に目立つ意見ばかり目を向けるのは危険だよ、と思う次第であります。
そしてソーシャルを無料の広報ツールから実のあるアクション(つまりは出費も含め)に跳ばすバネとして活用できるよう、政治力アップに努めたいものです。

中の人同胞の皆さん、上は洪水・下は大火事ってなぁんだ、と板挟みになりながら湯加減の調整に苦心されてると思いますが、まぁ燃料の投下量を間違えて上の洪水を沸騰させないレベルで頑張りましょう。