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sh101's blog

シンセとラジオの40数年。

『シン・ゴジラ』長文レビュー。

意味不明と言われても構わないんですが、僕は邦画特撮やVFXを駆使した一部の洋画が好きで、そこから得た何かを、一見何の関連もなさそうな自分の仕事に注入することがあります。

比較的わかりやすい例だと、自分がプロデュースしたCDの発売告知動画とか。

これはiPhone上で複数のアプリを使って作った動画ですけど「CD→円盤→インディペンデンスデイ→爆破→映像化」という連想だけが原動力となっており「CDを売ろう」という本来の目的を、謹んで逸脱させていただきました。

ついては今後のモチベーション向上の一環として、遅ればせながら昨日話題のシン・ゴジラを観てきました。

最近の邦画では珍しく、極端な礼賛が寄せられている作品です。
そこで前提その1として書いておくと、総監督である庵野秀明さんの作品は特撮博物館の『巨神兵東京に現わる』を除くと、『エヴァンゲリオン』はじめアニメ実写含め一作も観たことがありません。
ゆえに、庵野秀明さんが語られる際につきまとうバイアス、いわゆる「エヴァの呪縛」は僕の中に皆無であります。

また前提その2として、一方で僕がゴジラシリーズはハリウッド作含め全作品観ている、つまりは世間で言うところのゴジラファンであること。加えて今作の監督である樋口真嗣さんの出世作平成ガメラシリーズ」も全て拝見しております。

そんな中途半端なバイアスが所々に顔を出すことをご承知おきの上、下記の駄文に目をお通しいただけますと幸いです。
とにかく長いよ

あ、ネタバレはなるべくしないように書きます。

http://breakingnews800.com/wp-content/uploads/2016/04/g3-2-533x300.jpg

さて。

詳細なストーリーは下記をご覧いただくとして。
シン・ゴジラ あらすじ - Google 検索

作品の大まかな内容としては、キャッチコピーの「現実 対 虚構(ニッポン 対 ゴジラ)」どおり、現代の日本(現実)に身長110メートル超の巨大生物(虚構)が現れたら…というシチュエーションを緻密な取材に基づきシミュレーションした作品です。
毎年防災の日に各テレビ局でオンエアされる『巨大地震 ーその時、あなたはー(適当)』における想定ドラマの怪獣版だとお考えください。まあ乱暴ですけども。

作品世界において、我々が暮らすリアルと大きく異なるのはただひとつ。
「怪獣」という文化がないことです。

本作においてゴジラは、政府内では名称が定まるまで「巨大不明生物」としか呼ばれず、また市井の人々が発信するニコ動(のようなもの)などのコメントやツイート(のようなもの)にも「怪獣」というワードは登場しません。
ちなみに平成ガメラシリーズの作品世界ではカメという生物は存在しない前例もあります。
ともあれ、この設定が登場人物の驚きや戸惑いにリアルな効果を与えているようです。
http://i.gzn.jp/img/2016/07/19/shin-godzilla-trailer2/cap00010.jpg
本作におけるゴジラの出自は一切不明です。
冒頭で東京湾上のボートから消えた牧教授という人物が、その誕生に重要な関わりを持っていることが示唆されますが、牧が妻を放射線被害で失い政府に怨みを持っていたらしいこと、ゴジラのゲノムに関する手掛かりを遺していたということ、このふたつが作品内で提示されるのみで、元となった生き物、誕生時期、さらに上陸して都市を蹂躙する理由も目的も明かされません。

ゆえに政府がゴジラについて知っていることと、作品内の市民が体験すること、さらに観客がスクリーンで観ていることが同等となります。
これぞ有事を描くシミュレーションの醍醐味であり、超然としたヒーローや黒幕など先の見える者のいないリアルな作風となるわけです。

そして観客だけが知っている唯一の秘密はゴジラの強さ」ですが、自衛隊やアメリカ海軍による圧倒的な火力の集中放火を顔面に浴びようと傷ひとつつかず、黙々と歩を進める描写は、その強さを知っていてもなお驚かされます。
http://i.gzn.jp/img/2016/07/19/shin-godzilla-trailer2/00.jpg
また、ゴジラ最強の武器と言えばいわゆる「放射能熱線」なんですが、この出し方が過去作品にないスタイル・形状・威力でして、人間ごときがどれほど知恵を絞ろうと逃げきれるわけのない史上最凶最悪の災厄として描かれます。
またその際のゴジラの表情や身構えには、見た者に気持ち悪さしか残さない生理的なヤバさを孕んでおります。

このことに代表されるように、本作のゴジラはかなり独特です。
例えば一昨年公開されたギャレス・エドワーズGODZILLAはヒロイックな面を前に出した「強いゴジラ」でした。平成ゴジラのブラッシュアップ版と言えるでしょう。
また2001年に金子修介さんが監督した、平成ガメラシリーズの傀儡とも言えるゴジラは、巨大かつ白目というビジュアル的インパクトはあるものの「戦没者の怨念」という感傷的な背景から感情移入の余地のあるポジションでした。心臓のみ生きているラストにも「こいつ、しつこいなw」と呆れるほどの執念が感じられました。

対して本作のゴジラには、怒りや執念も哀しみも見えず、全てにおいて「怖さ」しか残りません。
作品前半で漁船群や瓦礫を押し込みながら川を北上する際の、あの時の津波に感じた不気味さ。そして水中から顔を出し初めて見せた顔(特に目)の、あらゆる感情移入が絶望的な異常さ。後ろ脚に力を入れて立ち上がった時の鳥肌が立つほどの奇妙さ。
ただ、仮に市民を巻き添えにしたとしても、不快程度の段階で撃退しておけば…と後悔と非難が湧き上がること必至です。
http://rensai.jp/wp-content/uploads/2016/07/20160616-shingodzilla.jpg
二度目の上陸においてようやく、ポスターや予告動画でおなじみの「表皮に触ると痛そうだけど、どう見てもゴジラ」がご開帳となるわけですが、この時点でもう「どうにもならない感」に苛まれ、くだんの熱線放出により、この国に一時的な政治空白が生まれてしまいます。

基本的に現実における軍備は、国家間における政治的な配慮でしかありません。それでも私たちの脳には、配備された兵器が地上の構造物を完膚なきまでに破壊できることが刷り込まれています。だから軍備には必ず反対意見が巻き起こるのです。
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ところが、その反対意見を撥ね付けてまで保有する全火力(核を除く)をもってしても傷ひとつつかない構造物が、まさかの生物
ただし、この『シン・ゴジラ』においては「さすがゴジラ、パネぇぇぇぇwww」なんて能天気な気分にはさせません。

なぜなら、この武力行使がいかに前例のない決断か、この決断が要人たちのいかなる駆け引きにより行われたのか、どれほど現場の自衛隊員が忠実にミッションをこなしたのか、いかに早く次の作戦へ移行したのか、非常に緻密な描写があるからです。
この間の関係者の動きが、もれなく、しかもテンポよく描かれるのですが、とにかく誰もが職務に忠実なんですね。
日本人の美徳である勤勉さこそが、本作のもうひとつのテーマであるようにも見えます。
ミサイルひとつ飛ばすまでに、どんなプロセスが、どんな思慮が必要なのか、充分に思い知らされます。

ゴジラから逃げ回る名もなき人たちを除けば、本作の登場人物は具体的な肩書きのあるプロフェッショナルばかり
彼らの家族や恋人、行きつけの飲み屋のママ、飲み仲間、同級生、とにかく現場に直接関係のない人物は登場しません。
http://i.gzn.jp/img/2016/04/14/shin-godzilla-trailer/cap00020.jpg
僕自身、地元で災害が起これば直ちに現場で指揮をとる職務にあたっており、自宅にいたとしても家族の安否を報告したのち速やかに職場へ向かうことになっています。

よくデザスター作品で、地球の危機に職場を捨てて家族を探しに行ったり、その場で手を取り合い絆を確認し合うようなシーンがあるんですが、己の現実に置き換えて「よくそんな余裕があるな、こいつら」という羨ましさ、もとい違和感を持っておりました。
そんなリアルを改めて感じさせてくれた映画作品は『シン・ゴジラ』が初めてでした。まあ少数派なのかもしれませんが、はい。
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ともかく、このプロフェッショナルたちが、ゴジラの殲滅という最終目標に向かう姿勢こそが『シン・ゴジラ』の真骨頂なのかもしれません。
もちろんそこには美徳ばかりでなく、任務をこなした先の出世欲といった要素ももれなく含まれているわけですが、それは「政治への風刺」といった類ではない、リアルを描く上で欠かせない描写だったと捉えています。
僕だって大きな任務をこなしたらとりあえず褒めてくれよ、と思いますし。
それに付随して「オトナが言う大人とは何か」を主人公自身が感じるシーンもあります。

「人間ドラマが薄い」という評価をされた方もいるようですが、個人的には前例のない災厄をめぐる動揺、若い世代がポストを獲得するための駆け引きなど、人間の弱い部分と醜い部分がさらりと加えられた、重厚でないが非常に多層的な人間ドラマだと思います。
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それとやはりゴジラは、何と言っても特撮パート。
もはや着ぐるみかCGかという議論はギャレス版ゴジラで終結したかと思うんですが、今作のゴジラにおいては、前述のようにすべての感情移入を拒絶する存在であり、どの生物にも見られない挙動があったことからCG以外の手法はあり得なかったと思います。
また日中、夕景、夜と異なるシチュエーションにCGゴジラを登場させているのもなかなかの決断だったと邪推します。

また映像の出来ということで言えば、冒頭からしばらくは、ひたすらにそつがないという印象でした。
民家の屋根、電線、路上の看板に至るまで三池美術監督の細かな仕事ぶりはそのままに、完全CGで作られたゴジラとのマッチングや、実景との効果的な合成、兵器の着弾から爆発のタイミング、絶望的な炎上や崩壊まで丁寧な画作りが続きます。

ところが、後半20分ほどはとにかく精度よりも目的、テンション高めで夜露死苦という感じ。
中盤の重さを突き破るようにクライマックスへ向かって「うおおおおおおおおおお!」と声に出そうな勢いですべてのカットが熱く走り出します。
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ドラマではこの劇的な展開に至るまでに、主人公たちによる綿密な工作と民間会社の多大なる協力と、自衛隊による周到な準備があり、すべての日本人がここに賭けざるを得ない感もしっかり描写されているので、流れとして破綻してはいません。
いませんが、なまじその攻撃手段がそもそも巨大生物に打撃を加えることなど考慮されていない現実に存在するマシンで、それらがあの明朝体によるテロップ付きで次々と投入されるわけですから、燃えていいのか笑っていいのか、とにかくひたすら凄いと唸るほかありません。

思えば、原点でもある『ゴジラ』(1954)のクライマックスには、悪魔の兵器たるオキシジェン・デストロイヤーが使用され、開発者自らの命と引き替えにゴジラを殲滅するというあまりにもあまりな鬱展開でした。
それに比して、本作では超兵器には頼らず、日本人たちが戦後に生み出した叡智を結集してゴジラに立ち向かうのです。
もうがんばれニッポンがんばろうニッポンなのであります。
その様をビジュアル化するとこうなるのか!と感動と感謝を呼び起こしてくれます。

事前情報で完全に伏せられているのが、まさにこのクライマックスでして、エンドロールまですべて観終わって「やはりTOKUSATSUはメイド・イン・ジャパンに限る!」と鼻息が荒くなること請け合い。
と同時に庵野秀明さん、あなたは素晴らしい。特撮の救世主現るですよ。
時間があれば観てみます、エヴァンゲリオン

とにかく邦画厨の論争とかどうでもいいから、アタマん中スッカラカンにしてスクリーンで観て感動に打ち震えながら余韻を噛み締めて糞して寝ろ!
と、この駄文もクライマックスは荒っぽく締めて、終わりといたします。お付き合いいただき誠にありがとうございました。



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