sh101's blog

シンセとラジオの40数年。

なるべく1エントリーで『仮面ライダークウガ』の魅力を書いてみる。

最近、シンセネタで書きたいこともあったんだけど、本業の一環で作曲などをしてるうちに、ここに書くのを躊躇してしまったので、落ち着いたとこで投稿します。

ということで、最近の忙殺される日々に潤いを与えてくれたものを書いてお茶を濁させてくだされ。

もう17年も前になるんだなぁというところで、先ほど全話観終わりました。

なぜいま頃クウガ

仮面ライダークウガ』は、今なお続く平成ライダーの第1弾。テレビシリーズとしては『仮面ライダーBLACK RX』以来10年ぶりの作品です。

当時、初期の数話は観られたものの、独身で遊び盛りだった僕にとって、日曜朝のオンエアはなかなかキツく、また録画を忘れてしまった10話あたりから「なんか、もういいか」という感じになってしまったわけです。

こうなってしまったのは、この『クウガ』が一話完結ではなく二話セットだったこと。さらには大河ドラマのように一年を通じて主人公たちの成長を描くストーリーであったことも影響していました。要は付いていけなくなっちゃったのです。

ちなみに、同様の理由で全話観直すハメになった作品に、『ウルトラマンガイア』があります。

最終回の謎

僕は『クウガ』の最終回を偶然リアルタイムで観ているんですが、これがまた問題作でした。

クウガの最終決戦から3ヶ月経て、主人公・五代雄介の相棒となった一条薫刑事が主要な登場人物の元を訪ね、決戦後に姿を消してしまった五代について語りあう内容でした。
この回には前週のダイジェストはおろか、動くクウガの姿が1カットもないという徹底ぶりのため、予備知識がないと五代雄介に何が起こっていたのかわかりません。

つまり10話から48話を観ていない僕にとって、あまりにもポカーンな内容だったのです。
DVDを借りれば良かったんですが、その頃付き纏っていた「イケメン特撮」というフレーズに、近寄りがたいものを感じ、足が遠のいてしまった次第です。

今年になって、オダギリジョーについて調べる機会があり、そこで「クウガ出演を黒歴史にしている」という噂を目にしました。
それが誤りなのはすぐわかったんですが(今も共演者との付き合いを続けており、一昨年には下リンクのドキュメンタリーにも出演)、その途端に動画で観たくなり、dtvで初回から少しずつ観直したんです。

あまりの素晴らしさに、リアルタイムで観れば良かった!と後悔する一方で、いま鑑賞しても全く古びていないことにも感激しました。

あの頃と違い、今ならレンタルのみならず、dtvのような動画配信サービスで鑑賞することも出来ます。
ゆえに、拙者のごとき諸事情で観られなかった方へ向けて、とにかくこの1エントリーで『仮面ライダークウガ』という作品の魅力を書こうと思い立ったわけです。

道徳の教科書みたいな五代雄介

この公式動画で、どんな人たちが関わって、どんな映像が作られたのか、ニュアンスは伝わると思います。

さて、何から書けば良いのか迷うところですが、一番のプッシュはオダギリジョー演じる主人公、五代雄介の異質さでしょうか。

「人々の笑顔を守りたい」という、まるで道徳の教科書のようにイノセンスな信念を持つ五代。

過去の戦士たちが掲げた「世界平和」「正義の戦い」というテーゼは、2000年代に入るにつれ、複雑な意味を纏ってしまいました。
制作者たちにとって、ヒーローが私怨を捨てて戦うためには、五代のような漠とした信念を持たせるしかなかったのかもしれません。

人々を笑顔にさせる1,999の技を会得してきた五代は、古代遺跡で見た幻影に導かれるように、2,000個目の技としてクウガへの変身能力を身につけました。
そして不安や恐怖、怒りに飲み込まれた人々に笑顔で「大丈夫!」とサムズアップを決めたのです。

例え相手が人類の敵であろうと、暴力を振るうことに「いい気分がしない」と拳をさすりながら発言する聖人ぶり。
(この描写が最終回にも反映しています)

しかしストーリーが進むにつれて、この純真さが仇となって五代の心に影を落としていく展開になります。

聖人君子ではいられない

本作の敵は、人間と同じ身体構造を持ちながら、体内に埋め込まれた石によって、肉体を戦闘マシンに変えてきた古代の知的生命体「グロンギ」。
殺戮を競い合う「ゲゲル」(ゲーム)という文化と独自の言語を持つ彼らに対し、我々人類との間に和平の道は全くありません。

グロンギには厳格な階級や格があり、回を追うごとに強力かつ残忍な敵が登場し、人類を守る戦士クウガは徐々に追い詰められます。

シリーズ中盤でグロンギに敗れた五代が心停止した際、一条刑事の友人である医師の椿から電気ショックを受け、その影響で戦闘能力が向上するわけですが、人々の笑顔を守るためには、結局暴力を使ってグロンギに勝ち続けるしかなかったのです。

ドラマ史上最低最悪の犯罪

この暴力の可否が端的に描かれたのが、34話「戦慄」と35話「愛憎」でした。
この回のゲゲルは、ゴ・ジャラジ・ダというグロンギが、高校のある学年の男子生徒90名を皆殺しにする趣向でした。

その手口は、生徒の頭部に小さな針を埋め込み、4日後にそれを変形させて脳内出血から死に至らしめるという残忍なもの。さらに死を宣告した後も生徒たちに自らの姿をチラつかせ、絶望的な恐怖と与え続けるという卑劣さ。
おそらくテレビドラマ史上最低最悪の凶悪犯でしょう。

ひとりの生徒がゲゲルの掟にない「自殺」を選んでしまったため、最後のターゲットに選ばれパニックに陥った転入生。
病院で睡眠薬と安定剤を施されて眠っていたところへ、警察の厳重な警備をかいくぐって侵入してきたジャラジ。

そこへ五代が飛び込みクウガへ変身。
間一髪で生徒は助かった(と思われる)のですが、問題はその後の戦闘シーンでした。

あまりにも凄惨な制裁

病室の窓から揉みあった状態で地上に落下する両者。
クウガマウントポジションでジャラジの顔面をひたすら殴り、踵で蹴りあげます。

口内を切って血しぶきを飛ばすジャラジは、隙をついて逃げ出しますが、すぐに捕まってサンドバッグ状態に。抵抗しようとクウガの拳を掴むものの、アッパーを喰らってダウンします。

自身のバイクに飛び乗ったクウガは、フラフラと立ち上がったジャラジに突っ込み、そのまま走り抜けます。
バイク前方にしがみついたジャラジは、自身の針で抵抗を試みますが、装甲タイプ(タイタンフォーム)に姿を変えたクウガに三たび殴りつけられます。

爽快感のない勝利

バイクを急停止させた反動で、ジャラジを湖まで吹っ飛ばしたクウガは、ソード(剣)を携えてゆっくりジャラジへ歩み寄ります。

クウガが進むカットには、五代がテレビニュースで見た被害者たちの顔写真、同級生たちが泣きじゃくる葬儀の模様がフラッシュバックします。怒りは頂点に達したのでしょう。

最後っ屁とばかりに飛ばした針も装甲に跳ね返されるジャラジ。
その間クウガはひと言も発さず強化タイプ(ライジングタイタンフォーム)へと姿を変えます。恐怖におののくジャラジの呻きだけが響きます。
ズバリ言えば処刑です。もうどっちがヒーローかわかりません。

湖水に入ったクウガは、棒立ちのジャラジを数回斬りつけて仰向けに倒すと、ソードを腹に突き刺し、弱点であるベルトの石を直接破壊します。
映像ではクウガの腕の動きによって、胃の辺りから下腹部へ向かって斬り裂いているのが確認できます。

凄まじい大爆発を起こしてジャラジの身体は四散します。

ご存知ない方に書いておくと、普段のクウガはここまで冷酷ではありません。

キックや武器で相手の身体に封印のマークを付け、封印エネルギーをグロンギ体内の石(ベルト)へと伝達させ自爆に導くのが、クウガの通常のフィニッシュなのです。

クウガが直接敵のベルトに手をかけたのは、この回ともう一例しかありません。

憎しみの先に見えたもの

太陽すら霞むような爆煙の中、五代の脳裏には真っ黒なクウガの姿が浮かびます。
これが最終形態「アルティメットフォーム」です。

グロンギの体内に「石」があると書きましたが、五代の身体(変身ベルト=アークル)にも「アマダム」と呼ばれる石が埋め込まれています。
このアマダムが、怒りや憎しみから拳を振り下ろすと、クウガはやがて戦うためだけの兵器に変貌してしまうと警告する意味で、五代に幻影を見せたのです。

闘いを終えたところへ駆けつけた一条。いつもなら笑顔でサムズアップを決める五代ですが、今回に限っては表情が読み取れず、また彼自身も湖から駆け寄ろうともしませんでした。

一条の困惑した表情からも、五代の異常を察していたことがわかります。

五代の肉体に起こったこと

アマダムの能力は、クウガに変身させるのみならず、五代の筋肉や神経系統に変化を与えたり、五代自身が戦闘時で受けたダメージを驚異的に回復させたりします。
クウガの装甲に穴を開けられたり、肩に銛が貫通して流血しても、五代の姿に戻った時にはかすり傷ひとつ残しません。

シリーズ序盤には五代が痛みに耐える描写もあったのですが、アマダムにより徐々に肉体が超人化していたようです。
この辺りは、医師・椿により回を追って解明されていきます。

ところが全話通して観ると、五代が何気ないところでつまづくシーンが複数存在していることに気づきます。
この描写はさらっと流されますが、おそらく肉体の変化に脳からの命令が付いていけてないのでしょう。

強くなった果てに

一条刑事によるグロンギの幹部「バラのタトゥーの女」への捜査、そして五代の友人・沢渡桜子による碑文の解析によって、クウガが強くなるのに伴い、グロンギの首領「ダクバ」と同じ力を持った「凄まじき戦士」すなわちアルティメットフォームになってしまうことが判明します。

碑文によれば、この変化は「太陽を闇に葬る」…つまり世界を恐怖のどん底に突き落とす可能性もあったのです。

また、クウガになった直後から五代の身体の変化を診察してきた椿は、進化の果てにダグバに惨殺されたグロンギの遺体を調べ、五代の身体もやがて人間とは別のものに変わってしまうことを悟ります。

その懸念を指摘された五代は「大丈夫です!」と笑顔でかわしたものの、ひとりになると不安げな表情を浮かべます。

平成の本郷猛・一条薫

彼の苦悩を察していたのが他ならぬ一条薫です。

警察としての使命感に燃えるがゆえに、民間人に過ぎない五代を巻き込んだことを悔いており、また終わりなき戦いの行く末に笑顔も見せず、グロンギに襲われても不屈の闘志で現場へ復帰する一条。

戦いを好まず、強く主張もせず、常に笑顔で楽観的に物事を受け止めている(ように描写される)五代とのコントラストで、一条の方が本郷猛のごとき過去のヒーロー像で描かれているのもこの作品の面白さです。

五代が「大丈夫」と答えると、「しょうがないなあ」と苦笑する登場人物の多い中、一条だけは視線を落としていることが象徴的です。

究極の闇、降臨

首領のダグバは第1話で復活し、先代のクウガからアークルをむしり取り、遺跡の研究チームを惨殺して姿をくらませた後、200体以上のグロンギを殺害し、手下にベルトを修復させて完全復活を果たします。

そして47話アバンで豪雨の中、ついにクウガと対峙します。
特殊能力によりクウガを体内から発火させ、アマダムに傷をつけるほどのダメージを負わせ、その目前で3万人を殺害します。

気のおけない仲間とスポーツでもするように殺戮を楽しむダグバ。
何もできずに悶え苦しむクウガに対し、無邪気な笑い声をあげた挙げ句「もっと強くなって僕を笑顔にしてよ」と、おぞましい言葉を投げかけます。

強くなれ、とはすなわち「凄まじき戦士」になれ、ということ。
人々を笑顔にするために強くなってきた五代が、最強の敵を笑顔にするために究極の選択を強いられるという、あまりにも悲しい皮肉なのです。

観ててください、彼の変身

果たして五代は「一条さん、俺…なります」と、アルティメットフォームへの変身を決意します。

この台詞はモノローグ的に挿入されており、どこでどのような表情で発言したものかは不明です。
しかし、五代が自分の笑顔を犠牲にしてまで、人々の笑顔を守ることを決心したことは確かです。

一条に人類の敵として射殺されるかもしれない。
人間の心を持ったまま変身できても、一度半殺しにされたダグバには勝てないかもしれない。
仮にダグバを倒せても、仲間たちと共存できない身体に変化しているかもしれない。

そんな不安もあったのでしょう。

そしてダグバとの最終決戦に勝利したら、そのまま日本を去って冒険の旅に出ることも告げたようです。
ここから五代は、彼らしい行動に出ます。

人生に大きな影響を与えてくれた小学生時代の恩師、幼いこどもとの約束を破ってまで兵器開発に尽力した科警研の榎田、世界でただ一人のかかりつけ医の椿、居候していた喫茶店「ポレポレ」、保育園で働く実妹みのりと園児たち、クウガ最初の目撃者にして同志として戦ってきた沢渡桜子のもとを訪れ、「絶対に勝つから」とサムズアップを決めて、しばしの別れを告げるのです。

一条は五代にその時間を作らせるために、ダグバ出現までの間、一切の連絡を絶っています。

一条以外の知人たちが五代の姿を見たのは、これが最後となります。

迎えた48話の最終決戦。
さらに49話の後日談。

ここまで読み進めて、クウガを観たくなった方のために、あえて結末は書かずにおきます。


※本エントリーの画像はバンダイのS.H.Figuartsを用いて作成しております。

吉田初三郎とわたし。その2

前回は完膚なきまでにプライベートを晒しつつ、「大正の広重」こと吉田初三郎を紹介させていただいた次第ですが、今回は初三郎と愛知県犬山町(現・犬山市)観光地化の関係をあれこれ妄想してみます。

前回と重複する記述もありますが、まあニッチすぎる内容ゆえご容赦を。

初三郎と名古屋鉄道の関係

関東大震災で家と仕事場を失った初三郎に、画室として「蘇江倶楽部」の建屋を提供したのは、名古屋鉄道(初代)の常務、上遠野富之助でした。

そもそも、なぜ初三郎が名古屋鉄道からこのような厚遇を受けたのかというと、震災の起こった大正12年の初めに、名古屋鉄道の招きで「日本ライン」を訪れていたからだそうです。

日本ライン」とは、大正2年(1913年)、地理学者の志賀重昂美濃加茂市から犬山城下までの木曽川の風景に対し、ヨーロッパのライン川になぞらえて命名した景勝地で、この箇所を舟で下る「ライン下り」は犬山にとって大きな観光資源でした。

おそらく名古屋鉄道は、初三郎に日本ラインを中心とした鳥瞰図作成を依頼したのでしょう。

名鉄の犬山観光地化計画

この頃から名古屋鉄道は、日本ライン周辺を観光地にすべく、犬山において様々な投資を行っています。

まず、初三郎が蘇江画室を開いた翌年(大正14年)には、日本ラインの最下流にあたる犬山城東側一帯を「犬山遊園」として整備しました。

さらに同年、全国でも珍しい鉄道道路併用橋として犬山橋が完成。翌15年(1926)5月にはこの犬山橋の南端に犬山橋駅(現・犬山遊園駅)を開業。
さらに10月には犬山線岐阜県側の新鵜沼駅まで延伸し、岐阜や北陸方面からのアクセスも確保します。

上遠野がどこまで計算していたかは不明ですが、全国の名勝を描いていた売れっ子画家の初三郎を犬山に招き、蘇江倶楽部に住まわせたのは、まさにこのタイミングでした。

初三郎には恩義もあったのでしょうが、画室から見える日本ラインの風景をいたく気に入っていたようで、自身が率いる「観光社」の出版物には「名古屋市外犬山町日本ライン蘇江 観光社」と記載。
さらに他地方の鳥瞰図にまでこの日本ライン、そして「蘇江画室」を描きました。
このことにより、日本ラインの名は全国に知れ渡ります。

ちなみに昭和5年、名古屋鉄道は社名を名岐鉄道と変えており、昭和10年に三河地方で勢力を拡大していた愛知電気鉄道と合併し、再び現在の社名になっています。

北原白秋が記録した蘇江画室

当時、北原白秋が『日本ライン』(昭和2年 東京日日新聞)という随筆を書いていますが、ここにその一部を引用します。

遡流は氷室山の麓を赤松の林と断崖のほそぼそした嶮道に沿つて右へ右へと寄るのが法とみえる。「これが犬帰でなも。」と後から赤銅の声がする。
烏帽子岩、風戻、大梯子、そこでこの犬帰の石門、遮陽石といふのださうな。
「ほれ、あの屋根が鳥瞰図を描くYさんのお宅ですよ。」
幽邃な繁りである。蝉、蝉、蝉。つくつくほうし。

この「鳥瞰図を描くYさん」が吉田初三郎を指すのは明白です。
昭和2年というと、まだ蘇江画室は氷室の蘇江倶楽部にあった頃です。

ちなみに「犬帰の石門」というのは、当時氷室付近の木曽川沿いにあった岩場を指しており、犬も怖がって引き返すほど細い小道があったようです。

戦後、木曽川沿いに県道185号(栗栖犬山線)を整備する際に破壊されてしまったようです。残念。

現地を取材してみました。

ところで昨日思いつきで投稿したので、本日現地へ足を運んでみました。
昨日も掲載した、初三郎による昭和3年の氷室。

そしてこれが現在の氷室交差点。
左奥へ県道185号が伸びていますが、第二次大戦直後までこの先には人がひとり通れるほどの小道と「犬帰の石門」があったようです。

中央奥が蘇江倶楽部のあった場所と思われます。

ちなみに交差点には氷室地区の案内板がありました。
例のスケートリンクについても書かれています。おそらくこの看板奥の空き地がその跡地だと思われます。

蘇江倶楽部跡地。何やら由緒ありげな門がありました。

なんだ、国際交流村か。
ユースホステル南は1995年前後に整備されましたが、記憶ではそれ以前にこんな門はなかったと思います。
前回も書いたように、40数年前はあばら屋とボーボーの雑草しかなかった場所でした。

もしこの門や東屋がそのあばら屋の建材から作られたとしたら嬉しいんですが。

いずれにせよ、ここは今も名鉄(もしくは関連会社)の土地と思われますが、どことなく往時の佇まいが感じられます。

氷室交差点からクルマで3分程度東へ向かい、吉田初三郎ゆかりの桃太郎神社へも行ってみました。

浅野祥雲作のコンクリートオブジェがお出迎え。
前回も記しましたが、こちらは昭和20年代に作られたものとのことで、吉田初三郎の関与はなさそうです。

ガラスの映り込みで見づらくなりましたが、社務所の中には、創立に尽力した初三郎の写真も飾られていました。

今回の取材で唯一、吉田初三郎の足跡が感じられるものでした。
今後もさらなる調査をしていきます。

吉田初三郎とわたし。

今回はここに書き殴ってきたシンセやラジオやゴジラとはまるで無縁の話です。

ここで「吉田初三郎」の名にピンと来なかった方には、この先苦行のような文章となりますので、ご離脱いただくことをお薦めして、とっととハナシを進めさせていただきます。

唐突ですが、アタクシの出生地は愛知県犬山市大字継鹿尾字氷室です。

こんな場所です。
「氷室」の交差点あたりは北側に木曽川が通り、東西を標高200メートル未満の小山(というか断崖)に囲まれているため、ほとんど陽が射しません。そのため天然の冷蔵庫があったと言われており、地名もそこから付けられたようです。

この地区の建造物は「犬山国際ユースホステル」しかありません。何を隠そう、この辺鄙な場所こそ僕の生家だったのです。

生まれた当時、僕の両親がこのユースホステル(当時は愛知県営)で食堂の業務委託を請け負っており、その建屋の東側に相当インスタントな建築ではありましたが、離れのような家を建てておりました。
僕はそこで生まれ、5歳まで生活していたのです。

さて。もう一度地図で氷室交差点を見てみましょう。

交差点東側に緑で塗られたエリアがあります。
現在は駐車場とちょっと整備された緑地になっていますが、僕が住んでいた当時、この辺りには雑草が生い茂る中に、あばら屋がありました。

実はこのあばら屋こそ、かつて「大正の広重」と呼ばれた絵師・吉田初三郎の画室だったのです。

吉田初三郎

吉田初三郎は、大正から昭和にかけて活躍した画家で、観光名所を鳥が俯瞰するように描かれた「鳥瞰図」と呼ばれる絵を、生涯で3,000作以上手掛けました。

初三郎作品と出会ったのは、名古屋鉄道が依頼した『日本ラインを中心とせる名古屋鉄道沿線名所図絵』(昭和3年)でした。

実はアタクシ、名古屋鉄道専門の鉄ちゃんであり、特に大正から昭和初期にかけての資料を収集しておりました。
それゆえ、吉田初三郎の名はここ15年ほど親しみがあるのです。

この他、初三郎の代表的な作品は、下のアプリでも観ることができます。

初三郎ちずぶらり

初三郎ちずぶらり

  • Stroly Inc.
  • ナビゲーション
  • ¥360

氷室にあった蘇江画室

で、『日本第一の河川美 日本ライン探勝交通案内圖』(昭和3年 犬山町役場発行)という作品に、当時の氷室の様子が描かれています。

画像が粗くて恐縮ですが、まず画像右側に「スケートリンク」があるのがわかります。もちろん昭和初期ですから天然氷でしょう。ここからも「氷室」の地名の由来がわかります。

そして画像中央に「蘇江画室」と表記された建物があります。

この位置は、現在の氷室交差点東、前述したあばら屋にあたります。
これこそが、初三郎が活動拠点としていた蘇江画室だったのです。

おそらく現在に至るまで、少なくとも100年間ほどこの氷室に住居はなく、数年に渡りこの場所で暮らしたことのある者は、吉田初三郎(とその弟子)、そして我が家しかなかったのでは、と推測します。時空を超えたご近所さんだったわけですよ、ええ。


吉田初三郎が犬山に住んだ理由

それはさておき、彼がこの地に住んだ理由ですが、京都生まれの初三郎は、上京して鳥瞰図作家として東京に画房と店舗を構えていましたが、取材で東京を離れていた時、関東大震災(大正12年)が発生します。

おそらく新聞や現地へ行った人から東京の惨状を知った初三郎は、帰京を諦めてしまいます。
それを見かねた名古屋鉄道(初代。現在は2代目)の常務が、社員の保養施設だった「蘇江倶楽部」を仕事場として提供したのです。
ちなみに「蘇江」とは木曽川の別名だそうです。

大正13年(1924)から5年ほど、この蘇江倶楽部を借りて画房である「蘇江画室」、そしてビジネスの拠点として「観光社」を設立します。
昭和4年(1929)以降は、ここからさらに東へ500メートルほど進んだ場所にあった旅館「不老閣」へ移り、昭和7年(1932)頃まで鳥瞰図を書き続けていたとのこと。

その後初三郎は画室を青森県の種差海岸へ移すのですが、その間に「観光社」を名古屋の東新町にあった陸田ビルへ移します。
実はこの陸田ビル、昭和33年頃まで中部日本放送から200メートルほど西方(東新町交差点の南西角)にありました。

中央の建物がCBC会館。この画像の右上に映る5階建てのビルが陸田ビルです。
個人的にはいろいろと感慨深いものがあります。

初三郎の残したもの・桃太郎神社

初三郎は犬山で居住する間、鳥瞰図以外にもうひとつ現存する作品を残しています。
それが桃太郎神社なのです。

鳥瞰図作りのために日本ラインを取材していた時、現在の犬山市栗栖周辺に「桃山」「猿啄城」「雉ヶ棚」、さらに極めつけは「犬山」と、桃太郎伝説にちなんだ地名や建物が残っていることを知ります。

そこで地元の支持者らとともに「日本一桃太郎会」を設立し、桃太郎伝説がこの地ゆかりのものであることを全国にアピールし、昭和5年に自ら政府に掛け合って創立したのが桃太郎神社だったのです。

これも日本ライン周辺の観光PRの一環で行われたと思われますが、そうなると吉田初三郎は現在で言うところの町おこしプロデューサー的な仕事もこなしていたわけです。
考えてみると、初三郎の興した「観光社」というストレートなネーミングも、どことなく当時の広告会社を想起させるものです。

ちなみに現在の桃太郎神社におけるランドマーク(?)となっている浅野祥雲作のコンクリートオブジェは昭和20年代に作られたものだそうで、おそらく初三郎は関与していないと思われます。

僕の人生の起点は初三郎のおかげ?

現在も犬山城をはじめ、犬山ラインパーク(現・日本モンキーパーク)、日本モンキーセンター明治村、リトルワールドと名鉄傘下で中京圏随一の観光都市となった犬山市

もし初三郎が居住していなければ、犬山市の観光施設はここまで充実したものにならなかったでしょうし、もしかするとユースホステルもなかったかもしれません。

となると、両親もここで僕を育てることはなかったでしょうし、タイミング次第ではこうした性分で、こうした仕事で、さらに今ほど健康に生活していなかったのかもしれません。

僕の人生を作った一因だったかもしれない吉田初三郎。もう少し研究を進めたいと思っています。

ローランドからやっとアナログシンセの新機種登場。

ローランドから、久々の単体アナログ・モノフォニックシンセ発売とのニュースが届きましたよ。

この夏発売のSE-02は、Omegaシリーズでも知られるアメリカのStudio Electronics(久々に名前聞いた…)とのコラボレーションとのことで、アナログ部分はSE社、デジタル制御部分はR社が担当したとのこと。
こちらの動画では多分にMADE IN USAな雰囲気が感じ取れます。

https://www.youtube.com/embed/zYLloIcu7us

パネルを見て驚いたのは、かなりmoog的なレイアウトと、レゾナンスの名称が"EMPHASIS"と、SE社基準になっているところ。

しかもローランド製シンセでは、VAのSYSTEM-8ですら継承されていたスライダーが、とうとう全廃されてしまいました。

無論Boutiqueシリーズの新展開ということで、サイズ的に厳しかったことや、デザイン的な意図もあると思いますが、SE社と組んだ時点で、スライダーを使う想定は最初からなかったものと思われます。

肝心のサウンドですが、上記サイトのファイルを聴いてみると、3VCOだけあって「ブ」がいくつあっても足りないほどブ厚い音がしてます。
とてもBoutiqueサイズのシンセとは思えない迫力です。

「ローランドの音なのか」と言われてもなんとも答えようがないんですが、どんな老舗メーカーであれ、概ね部品どころか開発陣も生産システムも変わってしまった2010年代、メーカー名はもはやブランド以上の意味を持たないのでは、とも思います。

その意味で、このSE-02が単なるコラボ祭りに終わらず、ローランドの新しいアナログシリーズの展開になれば、と願ってしまうSH-101デビューのシンセ中年であります。

ただ、残念なのはこれだけコンパクトな筺体であれば、乾電池での稼働がベストなんですが、やはり消費電力の問題で無理だったようです。
アタマではわかっているんですが、そこはホントに残念です。

それなら、ちょっとお高くなってもしっかりした筺体の鍵盤付きシンセとしてのリリースでも良かったのかな、と。
そちらはそちらで、今もニーズは充分あると思いますので。

先日書いたように、KORG monologueを手に入れて間もないのですが、個人的にこちらの最大の魅力は電池稼働でした。
僕の場合「軽薄なシンセ好き」と揶揄されても仕方ないほど、音質の良さや拡張性以上に便利さをとってしまいます。

ただ、ほとんどフルスクラッチと言える真新しいシンセが、日本のメーカーの名でリリースされるのですから、それはとても良いことなのだと思うのです。
重ね重ねですが、このSE-02を起点に、新しいシンセの歴史が刻まれんことを強く願って、私の挨拶と代えさせていただきます。

それはともかく、AIRAどうなった?

ラジオをテキストに乗せる意味。

たまに思い出すのだけど、このブログは40代後半の男がシンセときゃっふきゃっふ戯れるだけのブログではなく、一応本業としてのラジオ界隈についても記事をアップしています。
よく忘れるのだけど。

ということで、仕事としてこういうサイトを始めました。

まぁ「番組情報サイト」と名乗ってますが、とどのつまりは自社番組をソースにしたキュレーションサイトとでも言うべきものかなと思います。
まあ今が戦国の世なら「キュレーション」というだけで抜刀に至る野武士の方々も多いと思われますが。

冷めたイヤなヤツですよ、僕は

ラジオ番組を記事化する試みは、すでに多くの東京キー局が取り組まれており、取り立てて我々のサイトが新しいわけではありません。
それどころか、構築にあたった僕ですら、1年前まで「なんで記事化なんかするんだろう」と考えておりました。

今からちょうど10年ほど前、僕の勤務先以外の全局がポッドキャストに乗り出したことがありました。ポッドキャストに手を出さなければラジオは消えてしまう、そんな危機感から始まった雨乞い祭りのようでした。

広告主のニーズとの不釣り合い、無料配信、ライブ感の喪失、そして一度始めたら簡単にはやめられない宿命。
美しく言えば「番組をより広く伝えたい制作者の熱い想い」なのでしょうが、僕は民間放送の原則から外れた自爆行為と考えていました。今もその考えはさほど変わっていません。

あの頃、僕はかなり冷めた目でこの祭りを見ていました。それに似た感覚を、記事化に対しても、実は持っていました。

俺にも夢を見せろコノヤロー

ところが、その感覚が変わったのはradikoタイムフリー、そして民放連のシェアラジオ啓蒙の開始でした。
番組の美味しいところを頭出しの上、URLというテキストベースで拡散できるシェアラジオは、業界各位にいろんな夢を見せるには絶好の仕掛けでした。

およそ2,000万のダウンロード数を誇るアプリ、radiko.jpですが、月間のユニークユーザーはその半分強。
単純に言えば、残りの半分弱のユーザーは起動しないままということになります。あたかも避難袋に突っ込まれた手回しラジオ同然に忘れられているわけです。

ツイートやフィードで話題になれば、眠ったradiko.jpを立ち上げようというユーザーも増えるはず。聴取率の調査対象にはならないにしろ、テレビが録画率をカウントするようになったご時世、それは誰かが解決するでしょう。いざとなればradikoにはアクセスログだってあるわけです。
これに期待しないラジオ関係者は皆無だったでしょう。

不満を口にすると幸せが逃げる

しかし12月にもなると「もうちょい拡散されると思ったんだがなぁ」という私感も芽生えるのです。
そこで社の幹部に「番組名とバナーだけシェアされても、わざわざクリックするもんですかねぇ」と疑問を呈したわけです。

これが翌月になって、自分の発言収穫祭やら、人との縁やら「こういうサイトを作りなさい」との特命が下りるやらで、こういうサイトを作ったということなんですね。

こういうサイトはシェアラジオをきっかけに考案した、という動機の他は、こちらで書かれたお話と趣旨は変わりません。

http://s.news.mynavi.jp/articles/2016/08/12/tfm/

あと下の記事のように、名古屋のエンタメ界が各地から注目されているというハナシもあちこちで聞いていたので、そのSEO対策としても考えてました。ホント、名古屋はエンタメ処になってるわりに情報が少ないのです。

構想時点で、エンタメのみならずネタは結構な分量があると確信していました。自局は情報番組の割合も多く、またそこそこローカルネタもあり、パーソナリティありきの番組でも日に数コーナーは時事ネタを扱ったり、専門家に取材している。
少なくともコピペで済ますメディアより、信頼度の高い、血の通ったコンテンツが多いという自負はありました。

もちろんそれを誰が書くかという問題も、なんとかギリギリで回避してきてるわけですが。

終わったものをあれこれ言える幸せ

そして広報の立場で言えば、タイムフリーとこのメディアのおかげでオンエア後番宣ができるというのが何よりも大きかったわけです。
そもそもラジオ番組はパーソナリティと放送時間以外に告知要素がないんですね。とりわけAM局の番組は、前回より面白いかどうかなんて始まるまでわからないわけです。

だからオンエア後にアタマがhotになってるスタッフが書いた放送後記では伝わり足りない、と思ってました。
いや、聴いた人には有効かもしれませんが、未聴の人にはあまりにも不親切なものが多かった、ということです。

そんなこんなで、ひとまずアクセス数のマネタイズ、タイムフリー聴取者数の営業的利用法というふたつの課題を抱えながらも、損にはならないだろうと始めた、こういうサイト。

まだ人的にも経済的にも安定してないので、僕自身がほぼ毎日1、2記事で駄文を書き殴ってますが、良かったら覗いていただけると幸いです。

monologue機能あれこれ。

さてmonologue購入から2日、寝る時間を削りながら遊んでいるわけですが、シンセサイザーってこんなに楽しかったっけ?という発見が続々と。
手弾きプレイもいいですが、monotribe同様シーケンサーとの組み合わせでこそ生きるシンセだと実感します。

さて、音作りがとてもカンタンなmonologueですが、イニシャルから作ろうとすると、時折「これ、できないのかな」という壁に当たります。
パネルのノブやスイッチがシンプルな分操作がしやすいんですが、機能まで削られてるんじゃないかと誤解してしまうケースもあるのでは?
と老婆心ながら、いわゆるTIPSを書いておこうと思った次第です。


●シーケンスのプレイ
KEY TRG/HOLDボタンを押して鍵盤を押すと、シーケンスが再生されますが、手を離すと止まってしまいます。
シーケンスを継続させたい時はKEY TRG/HOLDボタンを長押ししましょう。
もちろん押した鍵盤に追随してフレーズもトランスポーズしていきます。ただし押したトリガーで1ステップ目からスタートしますので、タイミングには要注意。

●パネル・ロード機能
音色をエディットする時、現状のノブやスイッチの位置を反映してくれる、ありがたい機能です。
SHIFTボタンを押しながらPLAYボタンを押すと、ディスプレイに“Load Panel”と表示され、音色にパネルの設定がそのまま反映して音作りが始められます。

●VCO
SHIFTボタンを押しながらVCO2のPITCHノブを回すと、半音単位でチューニングできます。

●EG
SHIFTボタンを押しながらINTノブを回すと、EGのかかり具合がマイナス方向に作用します。

LFO
SHIFTボタンを押しながらINTノブを回すと、LFOのかかり具合がマイナス方向に作用します。

●エディットモード
ポルタメントの設定やスライダーへの機能アサイン、MIDI関連などパネルにない機能はエディットモードに集約されています。

例えばイニシャルからVCFの自己発振でシンセドラムを作ろうとすると、どの鍵盤を押しても同じ音しか出ません。
そんな時はエディットモードのPROGRAM EDITに入り、8番のボタンを2回押し"Cutoff Key Track"というパラメーターを50%または100%にしてみましょう。
ま、このパラメーター、デフォルトで100%になってるといいんですけども。

あとはスライダーとパラメーターのアサインはいろいろ試す価値があります。スライダーは手を離すとバネ(?)でゼロポイントへ瞬時に戻るので、LFOのレートを100%にして一気に戻すなど、手弾きでもシーケンスでもトリッキーなプレイが楽しめます。

ま、すべてのパラメーターがパネルに出てることが理想ですけど、一方でコンパクトな魅力が失われてしまうのは悩ましいところ。
ただ、知らずに使うのはあまりにもったいないので、試奏の際はこれらの機能をアタマに入れておくとよいかなと。

詳しくはKORGのホームページから取扱説明書をダウンロードして読んでみてくだされ。

monologue買ってみた。

仕事にかまけてご無沙汰してます。

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ということで、KORGの最新アナログシンセmonologueを購入しました。

昨年の秋に発表された時、正直なところピンとこなかったんですね。単なるminilogueのモノ版なのかと。

 

そもそもminilogueはポリシンセとして非常に出来がよく、同じ4音ポリのSYSTEM-1に比べ、長く弾いていても耳が疲れない心地よいサウンドが得られます。

V.A.のSYSTEM-1を使っているとよくわかることですが、単音でエッジの効いたサウンドが作れても、それでコードを鳴らすと時に不快に感じることがしばしば。

一方のminilogueではどうパラメーターを弄っても心地よくなってしまい、リードシンセとして使うにはやや押しが弱いという欠点もあったわけです。

 

だから、その単なるモノ版だとすると、あまり期待できないのかな、と早合点した次第。

ところがデモムービーのサウンドを聴くと、どうも予想と違う。気になって何度か楽器店で試奏してみた結果、こりゃ別物だなと。

 

そして、このシンセはminilogueの系譜ではなく、むしろ5年前に出たmonotribeの延長線上にあるシンセだ、と強く確信したわけです。

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凶暴なサウンドを生み出す超高速LFOもめでたく復活。ピッチ、フィルターはもちろん、波形変化(SHAPE)にも作用し、もうとにかくブリブリビリビリなサウンドが飛び出します。

またminilogueよりコンパクトになった引き換えにパラメーターが減りました。特にEGは簡素化され、新たにTARGETが設定されました。これによりスイッチひとつでサウンドを劇的に変化できます。もはやそこに音階は必要なくなり強烈なまでにmonotribe色がさらに増してきます。

 

この音源部をさらに活用できるのが16ステップシーケンサー

全てのステップがボタンとしてパネルに設置され、Volcaシリーズのように直感的な入力がしやすくなりました。

ベースフレーズに欠かせないスライド入力にも対応。またステップごとに4つまでパラメーターの変化も記録できるので、WAVESTATIONのウェーブシーケンスみたいな複雑なリズムも可能。

しかも鍵盤を押している間だけそのキーに追随したトランスポーズ再生もできちゃう多機能ぶり。もう最高です。

 

ちなみにフィルターを自己発振させたところ、音階が鍵盤に追随しなかったため「なんで?」と思ったら、エディットモードに"Cutoff Key Track"なるパラメーターがあるのを発見。

この他、ポルタメントやベロシティ設定もこちらにあるのでマニュアル必読。ただし本体に付属してないのでダウンロードして読みましょう。

 

ともあれ、これで税込み3万を切る実売価格、実に素晴らしい。

欲を言えば、あと1万高くてもいいから、ディレイもしくはmonotribeのようなリズム音源パートが欲しかったんですが…

ちなみに色はダークブルーかレッドかゴールドかで迷ってましたが、実物を見たところゴールドの質感が最高だったので即決しました。