オールインワンシンセとバブル経済。
このブログでは数万円程度の機材についての話題ばかりですが、今も放送諸々の仕事にはKORG TRITONを使用しております。
とは言え、昨年は一度か二度しか鳴らしてないんですけども…
僕が大学に通うため一人暮らしを始めて間もない1988年5月、コルグからM1というとんでもないシンセが発売されました。
高品位PCM音源、デジタルマルチエフェクター、8トラックのシーケンサーと、これ1台でクオリティの高い楽曲を作ることが出来たのです。
高校時代、アート・オブ・ノイズやピーター・ガブリエル、坂本龍一、PSY•SらがフェアライトCMIというサンプラーを使用していました。
80年代中盤の楽曲を代表するビットの荒い、かつ音圧の高いサンプル音はもちろんのこと、ページRというマルチトラックシーケンサーで楽曲作成までこなすというモンスターマシンでした。
フォステクス X-15というカセットMTRでノイズと戦いながら曲作りしていた僕にとって、テープレスで音を重ねられるというのは夢のまた夢で、M1の登場は衝撃的でした。
とは言え。
実はM1より前に、オールインワンタイプの音源を購入していました。
ヤマハが87年末に発表したRX7です。
このマシンはDX7Ⅱと同時発売されたドラムマシンRX5の廉価版にあたるんですが、内蔵音源が100に増え、しかもメロディ楽器が強化されたので、パッドに音階をアサインするか、MIDIキーボードを繋げばコードも記録できます。
最大発音数は16でドラムキット、ベース、シーケンスフレーズをやりくりすれば、ベーシックトラックはたやすく作れました。
実は大学へ入ってすぐに、このRX7を入手した僕は「うわー…M1があと1ヶ月早く出てくれたら…」との思いを抱きましたが、価格差は如何ともし難く、結局89年の夏まではRX7をメイン音源として使用していました。
こう書くと、RX7を嫌々使っていたように誤解されそうですが、実はこの間にRX7のみで作った曲が、ひょんなことから東海ローカルのテレビCMに使われることになり、それをきっかけに作曲のバイトにありつけたんです。
当時バブル経済の真っ只中で「箱物行政」と呼ばれるほど、地方都市でも様々なホールが作られたおかげで、とにかくいろんなイベント仕事が舞い込みました。
イベンターや音屋(音響)さんは権利処理を気にするより、拙いながらオリジナル曲が作れる人間を探していたようです。
その意味で、僕もバブルの恩恵を受けたひとりなんでしょう。
客席後方のPAブースにRX7一台だけ持ち込み、ソングを切り替えながらスタートボタンを押してるうち、他の舞台スタッフに囲まれて「こんな小さな機械で曲が作れるの?」と質問されたこともありました。
89年夏に本格的な商業芝居の劇伴を依頼され、RX7だけで賄いきれないことから、貯めたバイト代でM1を買うことになりお役御免となったものの、RX7こそ僕の人生を変えたマシンに違いありません。
その後放送業界に入ってからは趣味の範疇ながら01/W FD、TRITONと、専らコルグのオールインワンシンセを使い続けてきました。
ラジオ番組で企画モノ楽曲を依頼されたり、全国ネットのドラマで急遽アレンジを頼まれたこともありました。
あ、そうそう、TRITONではこんな曲のアレンジもやってます。
よかったら是非お聴きくださいませ。
失望されそうな悪寒満載ですが(笑)